青春18きっぷで北海道11日間野宿の旅

青春18きっぷ北海道11日間の旅

1989年8月の夏休み高校一年だった僕と親友は青春18きっぷを使って滋賀から北海道へ青春18きっぷを使って旅に出ることなりました。

青春18きっぷ2冊と1枚、計11日分を使ってほぼ野宿の旅を決行することにしました。目的は二人の共通の趣味鉄道写真でした。各地で写真を撮りながらの旅です。

1989年当時使った青春18きっぷ

だいたいの計画を作ったのは友人でした。当時の友人の手書きの日程表のコピーが残っていました。帰りの日程の紙が一枚紛失しています。どの列車に乗るかと野宿の場所、撮影の場所の予定が記されています。計画は立てましたが結構途中で変更したので全てこの通りではなかったように記憶しています。

旅の最後の方は疲れていたこともあり記憶が定かではありませんが断片的に印象に残ってることだけでも忘れてしまわないようにという意味もありアップすることにしました。

北の大地入場券 自作ファイル作成方法↓↓

目次

予定表

札幌のおじいちゃんの家に一泊だけ泊めてもらった以外はほとんどが駅の待合室、または深夜になり駅から追い出されて駅前に段ボールを探してきて寝たりしていました。野宿旅行なのに寝袋も持っていませんでした。北海道は夏でも夜は結構寒かったです。

二人とも持ち物は少しのお金とボストンバッグにはカメラとレンズ、替えのフィルム、少しの着替え、あとは三脚くらいでした。途中の食べ物で記憶にとても残っているのは立ち食いそばです。あとはパンとかコーラとかでした。

ちなみにお風呂は11日間でおじいちゃんの家で入った一回だけでした。あとは駅の水道で頭とか足とかを洗ってました。旅の最後のほうは2人ともかなり臭かったです^^;

ほんとうに今思えばよくあんな感じで11日間も旅をしたもんだと思います。

撮影旅行だったのに今写真を見返すとピンボケ写真や露出がおかしい写真ばかりでした。その中でも多少ましだったのをご紹介します。

使用していたカメラは父から借りていたオリンパスのOM10というカメラでした。あとレンズを何本か。フィルムはネガ、ポジ、モノクロが混ざっています。現像代も結構かかるので今のように撮りたいだけ撮って消してができなかったので自分が気に入ったもの、ここぞと思った時だけシャッターを押していた「つもり」でした。

国鉄特急「白鳥」「北斗」と青函連絡船で初めての一人旅↓↓

1989年8月撮影旅行

1989年(平成元年)8月17日の早朝実家のある滋賀を早朝の始発列車に乗り草津線、東海道本線、関西本線、東京、常磐線を経由して最終列車まで乗って仙台まで行くことができました。青春18きっぷなので全て普通列車や快速などです。仙台駅で寝台特急エルムや583系ゆうづるなどを撮影します。仙台駅では深夜も列車が走っているので追い出されることなくホームの待合室で寝たと思います。

夜の仙台駅にと停車中の寝台特急エルム
寝台特急エルム
仙台駅に停車中のカートレイン1989年
カートレイン
EF78重連貨物1989年
EF78重連貨物
583系寝台特急ゆうづる1989年
583系ゆうづる

仙台からは日程表によれば始発に乗り東北本線経由で青森、そこから快速海峡に乗り函館へ。函館からは快速ミッドナイトで苫小牧へ。この時代は快速でも夜行があったのでお金がない高校生にとってはとても助かりました。

1989年苫小牧駅に停車中のキハ130
苫小牧駅のキハ130

苫小牧から日高本線に乗り新冠へ。節婦から新冠の海沿いぎりぎりを走る列車を撮るのが目的でした。

次は日高らしい馬と列車をからめた写真を撮るために新冠から少し戻り富川へ行きました。この頃の日高本線にはキハ40、キハ22、キハ130が走っていました。

1989年日高本線沙流川を渡るキハ22と馬

富川駅から目的の撮影場所までは少し歩きます。沙流川という川には赤い鉄橋がかかっていてそばには牧場があり馬がのんびりしています。列車はこの当時でもとても本数が少なく列車を撮影するまではかなり時間があります。向こう岸にある目的地に行くには国道を通って遠回りしないといけなかったんですがどうせ列車も来ませんし二人で鉄橋をわたってしまおうってことになりました。スタンドバイミーって映画では線路を歩いてる途中に汽車がやってきてしまうんですよね。

幸いそんなことはありませんでした。川を渡り切ったところで橋げたについてる梯子を伝って牧場におりました。今なら撮り鉄がまたやったといって大騒ぎされそうですが昔は列車が来ない時間は普通の人でもよく線路を歩いたりしていました。天気はよく暑くもなく寒くもなく撮影する列車もまだ来ません。牧草地でいつの間にか二人は寝てしまいました。本当に気持ちよかったです。上の写真のまさにこの場所です。

そのあとは苫小牧まで戻りそこから札幌のおじいちゃんの家へ行き一泊させてもらいました。次の日の早朝からまた列車に乗り滝川へ。そこから根室本線経由で新得へ。途中ANAビッグスニーカートレイン、トマムサホロエクスプレスなどを撮影しました。

ANAビッグスニーカートレイン
ANAビッグスニーカートレイン
トマムサホロエクスプレス
トマムサホロエクスプレス

その後、北海道ちほく鉄道ふるさと銀河線のCR70形などを撮影しながら根室本線を釧路方面へ。

1989年北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線池田駅に停車中のCR70

池北線は1989年の6月に廃止になりその年の8月6日に第三セクターが引き継ぎ北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線として営業を開始しました。自分たちが訪れたのは開始直後の頃です。写真は池田駅に停車中のCR70かCR75だと思います。

北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線池田駅に停車中のCR70
1989年夜の池田駅とキハ40

夜になり予定表では音別まで行って駅で寝る計画だったんですがなぜか一つ手前の尺別のほうがいいのではとなり尺別駅で降りてしまいます。そこの駅で一晩過ごそうとしたのですが思ったほど居心地がよくないのでやっぱり音別まで行こうってことになりました。

夜の尺別駅1989年

ですがもう最終列車は出た後でもう明日の朝まで列車は来ません。じゃあ歩くかってことになりました。線路伝いに真っ暗闇のなか尺別から音別へ向けて歩き始めました。

地図で見ると4キロくらいの道のりでしょうか。尺別駅(2019年3月16日に尺別信号場となりました)は今はもうなくなってしまいましたが当時も周りにはなにもなかったと思います。途中にもなにもありません。ただただ真っ暗でした。遠くの薄明りをたよりにひたすら歩きました。時々鹿かなにかの鳴き声がしてちょっと怖かった記憶があります。ですがなぜかもう嫌だとか帰りたいとかは思いませんでした。音別駅に着きそこで一晩過ごしました。夜はとても寒かったです。

14系寝台急行まりも音別駅付近1989年
14系急行まりも

朝になり釧路から根室へ。途中なぜか根室本線の別当賀駅で下車。なにを撮りたかったは覚えていませんがとにかくおりて数枚写真を撮っています。

別当賀駅1989年
別当賀駅1989年

根室駅のキハ54(1989年8月22日)

1989年根室駅に停車中のキハ54

予定では釧路へ戻り釧網本線のどこかで一晩過ごす予定が変更して釧路駅で一夜を明かすことになりました。

夜の釧路駅ホーム

釧路駅では深夜になり駅から追い出されてしまい段ボールを探してきてそれをかぶって駅出入り口近くの自動販売機の横で寝ました。寒かったのですが疲れていたせいもあり思いのほかよく眠れました。

釧路駅キハ183系おおぞらとキハ40

朝になると横を行きかう通勤客の足元を見ながら目覚めました。多分家出少年かなにかかと思われたと思います。(今ならスマホでいっぱい写真を残せたんですが面白い風景でした)

釧路から釧網本線を北上し網走、北見、遠軽へ。

キハ183系オホーツク

旅も半分くらいにさしかかり二人ともかなり疲れてしまい列車の中ではほとんど寝ていました。乗っていた列車は遠軽へ到着後一旦引き込み線に入りしばらくするとまた北見方向へ帰るためホームに戻ってくるんですが僕はぐっすり寝てしまっていたようで友人は車掌に言ってそのまま車内で寝ている僕を一人置いて降りてしまったそうです。車掌も寝ているからということで特に起こすこともなくそのまま引き込み線に列車は入りました。引き込み線から列車がホームに戻ったところで目覚めて遠軽駅のホームに降り立ちました。

1989年8月23日遠軽駅

1989年遠軽駅に停車中のキハ54とキハ24

遠軽駅では次の石北線旭川方面の列車に乗るまでかなり時間があったのでホームで沢山写真を撮っていました。駅から見える瞰望岩(がんぼういわ)が印象的です。(下の写真)アイヌ語では「インカルシ」と呼ばれ遠軽という地名の由来になったそうです。

遠軽駅から見た瞰望岩1989年

1989年5月、自分たちが訪れる少し前に遠軽から北東方向(中湧別、紋別を経由してオホーツク海方面)へ延びていた名寄本線は廃止されました。遠軽駅はこの年から旭川方面から来た列車はスイッチバックして網走方面へと向かう行き止まりがある珍しい駅となりました。

当時は転車台の後ろには昔使われていた扇形車庫もまだ残っていたようです。

遠軽駅の扇形車庫と転車台1989年

遠軽駅に停車中のキハ183系特急オホーツク

遠軽駅に停車中のキハ183系特急オホーツク1989年

旅は後半も強行軍が続きます。予定表を見ると遠軽を出た後、旭川ー富良野ー旭川(野宿)ー札幌ー(快速ミッドナイト泊)ー大沼ー森ー長万部ー小樽ー札幌ー(快速ミッドナイト泊)ー函館へ。(ミッドナイト2連泊!!)

富良野駅に停車中のフラノエクスプレス

富良野駅に停車中のフラノエクスプレス
富良野駅に停車中のフラノエクスプレス
北斗星色のDD51と50系51形とキハ40
北斗星色のDD51と50系51形とキハ40

青森駅停車中の14系快速海峡。通常は50系客車使用でしたが急行はまなすの合間運用として14系で運行されていたこともあったようです。(横にいる20系はなんの列車かわかりません)

青森駅停車中の14系快速海峡と20系寝台

その後、福島までの予定表が紛失してしまっていますが快速海峡で津軽海峡を渡りました。

蟹田駅付近でED79が引く14系海峡、ED76-551と50系海峡、485系はつかりなどを撮影。青森駅ではまた深夜に駅から追い出され駅の出入り口付近で段ボールを敷いて寝ました。

ED79と14系客車「海峡」1989年
ED79と14系客車「海峡」

ED76-551はもともと函館本線用に作られたED76-500番台を海峡線仕様に改造したもので550番台として1両のみが作られました。ED79に比べて長い車体、赤と灰色のツートンカラーはかっこよくて結構好きでした。

ED76-551と50系5000番台快速「海峡」
ED76-551と50系5000番台快速「海峡」
TOMIX NゲージED76-551
TOMIX Nゲージ ED76-551

海峡線で函館まで足を延ばしていた頃の485系特急はつかり

海峡線で函館まで足を延ばしていた頃の485系特急はつかり 蟹田駅付近
485系はつかり

八戸駅のホームの待合室でも一泊しました。ぐっすり寝ていた二人は朝になり待合室のガラス越しに通学途中の高校生に囲まれ珍しそうに見物されていたところ目覚めました。全く人目は気にしてませんでした。

その後、福島ー郡山ー会津若松ー新津ー新発田-坂町ー米沢ー福島(野宿)へ。

この辺はあまり記憶がありません。

福島駅の485系特急つばさ

福島駅の485系特急つばさ
485系つばさ
福島駅に停車中のEF71重連と50系客車1989年
EF71重連と50系客車
14系急行
14系急行(列車名不明)

福島から東北本線、東海道本線を経て1989年8月27日に滋賀へ戻ってきました。

11日間の高1夏の冒険は終わりました。

その後30年以上会うたびに何度も何度も何度もこの出来事を思い出して語り合いました。本当に忘れられない一生の思い出です。

あとがき

あの旅から32年ほどが経ちました。

2021年2月3日、僕はかねてから計画していた冬の道東への2週間の旅行へ出ようとしていました。

2021年3月で廃止になる日高線やSL冬の湿原号、鶴居村のタンチョウ、流氷などを撮影しながら車でまわりたいなと思っていました。ほとんどを車中泊する予定でした。

あいにく2月3日は警報が出るほどの大雪で出発を延期せざるをえませんでした。

2月3日夜になり改めて旅の計画なんかを考えてるときに誤ってiphoneを床に激しく落としてしまいました。画面はかろうじて映っていますが触ってもほとんど反応せず修理するしかありませんでした。iphoneなしで旅行はしたくないので翌日札幌に寄って修理をしてから旅行をスタートさせることにしました。(札幌でiphoneを修理した話)

2月4日、自宅から車で出発し札幌に寄りiphoneを修理しその日は苫小牧近くで車中泊。次の日、日高線を鵡川付近で撮影しました。

その後、2015年の高波の影響でもう列車の来なくなった日高線の駅をいくつか訪れました。もちろん32年前に友人と来た場所にも。

新冠駅2021年

新冠の駅で写真を撮り友人にlineで送りました。「懐かしいね。もうすぐ廃止になるよ」って。

返事は返ってきませんでした。

(ああまた仕事忙しいのかな)

旅は進み2月8日。僕は釧路にいました。

晩御飯を食べようとホテルから出かけて釧路駅前を通りました。

釧路駅前の自販機2021年2月

二人で段ボールにくるまって寝たあの場所です。

「あっここだ!」

夏でもひんやりとする釧路の朝、人々が行きかう足元を見ながら目覚めたあの場所です。

携帯で何枚かこの自動販売機付近の写真を撮りました。

夕飯を食べホテルへ戻ると数日前Lineで写真を送った友人の名前で携帯が鳴りました。

(あ~やっと返信か)

そう思って電話に出ました。

電話口には女の人の声です。聞くと友人の妹さんとのでした。

その瞬間なんかあったんだと悟りました。

2月3日夜(ちょうど僕がiphoneを床に落とした頃)に倒れて意識不明になり今も意識が戻らないとのこと。かねてからあった高血圧、不整脈、そして過労があったのではということでした。

妹さんに高校時代にした旅の話を少しし、先ほど撮った釧路駅での写真を送りました。「元気になってまた一緒に旅行に行こうと伝えてください」と友人への祈るような気持ちを妹さんへ託しました。

「必ず伝えます」妹さんはそう言って電話を切りました。

コロナの影響でもし病院に行ったとしても会うことすらできません。その後は友人のことを心配しながらも旅行は中止せず続けることにしました。

釧路から根室、網走、北見、遠軽へ。

気づけばかつて友人と旅したルートをほぼたどっていました。

今思えば「もういちど一緒に行こうよ」と言ってくれたのは友人の方だったのかもしれないと思っています。

夜、北見のホテルにいる時にまた妹さんから電話がかかってきました。

「2月14日深夜に天国へ旅立ちました」と。

涙が止まりませんでした。

それから色んなことを思い出しました。

中学の時に二人で電車に乗ってスキーに行ったことがありました。帰りにキハ58の中間車両についている運転台に勝手入って運転席に座って遊んでるとき(この頃は中間車両の運転台には鍵がかかってませんでした)に誤って足元の警笛を鳴らしてしまい二人で大慌てしたこと。

僕が前の奥さんと離婚する直前には心配して遠くからきてくれたこと。

忙しい合間を縫って一時期住んでいた大阪まで遊びにきてくれたことなどなど。

中学時代からの親友は天国に行ってしまいました。

高1の夏に行った北海道旅行の話は歳をとって2人がおじいさんになっても普通に何度も何度も語り合うんだろうなぁと思っていましたがそれはもうかなわなくなりました。

3月に入り彼の家へ行きました。

会社を経営していたのでその事後処理で忙しいとのことでした。

彼の家族が僕に中学、高校時代に取った鉄道写真の一部を託してくれました。またいつか公開したいと思っています。

青春18きっぷ北海道11日間の旅

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