小学校六年生の冬休み、初めての長距離一人旅に出ました。
国鉄がJRにかわるちょっと前のことです。
目的地はおじいちゃん、おばあちゃんが住む札幌。

物心ついた時には鉄道好きになっていたので移動はもちろん鉄道。
記憶では電車に一人で乗ったのもその時が初めてだったような気がします。


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旅行にでるかなり前から時刻表を何回も何回も見て計画を立てました。
時刻表を見ているだけで楽しかったのに実際に乗ったことのない特急列車や見たこともない北海道の列車を実際に見れると思うとワクワクが止まりませんでした。(時刻表の読み方を覚えて初めて行った旅行の話)
計画はこんな感じでした。
京都 → (特急白鳥) → 青森 →(青函連絡船)→ 函館 → (特急北斗)→ 札幌
京都駅を午前10:52に出発し青森に深夜到着、青函連絡船に乗り換え函館には次の日の早朝着いて札幌には昼前の到着です。




それまで楽しみで仕方なかったのに旅行当日にはとても緊張していたことを覚えています(小学校1年の時に旅行を楽しみにしすぎて当日具合が悪くなった経験あり)。京都駅までは両親に送ってもらいました。

いよいよ京都駅のホームに夢にまで見た白鳥の描かれたヘッドマークをつけたベージュの車体に赤いラインの485系電車が入ってきました。
ホームまで見送りに来た両親と言葉をかわして列車の自由席に乗り込みました。
空いてる車内の席に着いてもなんか落ち着かなくドキドキしていた記憶があります。
列車は出発し琵琶湖を右に見ながら湖西線、北陸線に入り今度は左側に日本海を見ながらひたすら北上します。
今のようにスマホもなく漫画を読むでもなくただただ景色を見たりウトウトしたりしてました。
時々隣に乗っては短い距離で降りていく知らないお客さんに「一人かい?どこまで行くんだい?偉いねぇ」などと声をかけられました。

白鳥は新津駅から新潟駅に入り進行方向を変えてさらに白新線、羽越本線を通って北上していきます。
夕方から夜になりさすがに十何時間も列車に乗っていると疲れて寝てしまう時間が多くなりました。
あまり景色を見ていた記憶はありませんが時折停車する山形や秋田の駅では屋根に積もるてんこ盛りの雪が印象的でした。
青森には23:50に到着。ホームに降り立つと冷たい空気とものすごい雪。
降り立った乗客が足早に青函連絡船の乗船口へ向かいます。
北海道出身の親からは「青函連絡船に乗るときは良い場所をとるためにみんな走るんだよ」と聞かされていました。
僕もそれにならって足早に乗船口へと向かいました。

青森駅には上野から到着したこちらも長距離列車の「ゆうづる」と「はくつる」がきれいに並んでいました。
赤いゆうづると青いはくつるのヘッドマークをつけた雪まみれの583系電車が並んでいるシーンは今でも忘れることができません。(実際の写真は撮れなかったので模型の写真でイメージを)

青函連絡船には乗船名簿に載せるための住所氏名を書く紙を列車の中で渡されそれに記入し船の入口付近で箱に入れます。
船内では雑魚寝できるカーペットが敷かれた大広間のようなところへ行きました。
隅っこのほうに陣取り疲れていたのでよく寝れたような気がします。
そういえば京都から札幌まで何か食べたり飲んだりした記憶がないんですがきっと母親がおにぎりかなんか作って持たせてくれていたかもしれません。
今なら駅弁買ったり車内や船内を探検したり記念の品を買ったりいっぱい動き回ったと思いますが当時は何せ初めての一人旅で緊張していたのであまり動くことができませんでした。

青函連絡船は4時間ほどで函館に着きます。
函館から札幌へは太平洋側を通るルートとニセコや小樽を経由する山線と呼ばれる函館本線ルートがあります。
2020年現在、函館から札幌へ乗り換えなしの直通列車は「北斗」のみですが当時はどちらのルートにも直通列車が何本も走っていました。
特急「北海」や急行「ニセコ」は山線経由でした。(twitterに古い鉄道写真アップしています)

当日の早朝、札幌への乗り継ぎ直通列車は「北斗」と「北海」がありました。
その時はなぜか「北斗」選びました。
結局一度も山線の直通列車には乗ることができなかったので今となっては後悔です。

函館から札幌の間もあまり景色を見たりせずほとんど寝てたような気がします。札幌駅へはおじいちゃんとおばあちゃんが迎えに来てくれていました。


こうして初めての長距離一人旅(往路)は無事終わりました。断片的には鮮明に記憶に残っています。特に列車や駅の風景など。
この旅がその後の自分の人生の「ある意味」出発点であったような気がします。今も札幌駅や函館駅などに行くと当時の記憶が蘇ってきます。






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